本がある日日

本は好きだが読書が苦手な男の読書ブログ。時々映画もあるよ。

諦める力(為末大)

為末大氏は何度もオリンピックに出場した元陸上アスリートだ。

そもそもあまりスポーツに関心の無い僕が為末氏に興味を持ったのは、テレビなどで彼がどこか卓越した精神や思想があるのではないかと思っていたからだ。

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先日仏教系のラジオ「笑い飯哲夫のサタデーナイト仏教」にも出演しており、仏教にも精通していることも興味をもった理由でもある。

調べてみると2012年に現役を引退していおり、その後多くの本を出版している。
その中でも比較的売れたと思われるこの本を図書館で借りて読んでみた。

一般的に諦めるという言葉はネガティブなイメージがあるが、仏教的な意味あいだと「明らめる」「見極める」という意味がある。また、「諦」という漢字には「あきらかにする」「つまびらかにする」「さとり」などの意味もあるようだ。

著者は若い頃に陸上競技での種目の選択で諦めざるを得ない苦しい決断をすることがあった。それまで目指してきたことを諦めるというのは辛い思いだった。また、「逃げた」「諦めた」というネガティブな感情が拭えなかったらしいが、それは結果的に悪いことではなく、選んだ種目でトップを勝ち取ることができた。

著者が言いたいことは、手段を諦めることと目的を諦めることは違うということ。
この場合は、勝つことを諦めず、手段を諦めたのだった。

また、アスリートの世界では若いころに現役を引退することになることが一般的で、いつかは“社会人”としてセカンドキャリアを生きることになるが、ここでも「諦め」という大きな問題が起こる。

世の中にはアスリートと呼ばれる人は数多くいるが、引退後の仕事を考えざるをえない時期はいつか来るのである。大きな結果を残せたら何かしらの知名度で仕事に就けるかもしれないが、大半の人は無名のままで歳をとっていくとなると何も経験のない歳をとった新入社員になってしまうのだった。

人生をトータルで考えたときに、ただ諦めずに頑張ることが本当に勝っていることになるかどうかはわからない。


アスリートでも一般の人でも人から「がんばって」「あきらめないで」と言われるとその期待や願望に応えようとなるものだが、果たしてそれは正しいのだろうか。
著者はこう書いている。

人間が何かを選択するときに悩むのは、何を選んでいいかわからないからではない。自分にとってより大切なのことが何なのか、判断がつかないから悩むのだ。

 本の中で人の能力と努力について不平等ということが書かれている。
例えば生まれ持った才能や得意分野は人それぞれに違うし、努力は必ず報われるものでもない。
才能が無いことを努力をすることは苦痛だという。

才能のある人は、練習の一部は娯楽になっている可能性がある、しかし、才能のない人たちにとってみたら、練習は苦痛でしかない。

人間に優劣はないが、能力に優劣はある。

 

その他生きて行く上での価値観や幸福について書かれている。
以下に引用文をいくつか記載した。

努力がすべてだと言われて育っていたから、僕に敗れ去っていった選手に対してどこか努力が足りなかったんだろうという目で見ていた。でも、引退近くになり自分の実力が落ちて行くなかで、努力量と実力は比例しないのを知った。

自分らしくあればいいと言われても、自分らしさとはいったい何かということがわからないから人は苦悩しているのだ。そんな人に「そのままでいい」と言ったところで、むしろ「自分らしさを持たなければならない」とさらに追い詰めていることになりはしないか。

高倉健さんがヤクザ映画の大スターだったとき)
高倉さんは、自分の心境と観客のギャップを理解することができなかった。それをきっかけに、45歳でスッパリと任侠映画から足を洗う。(中省略)
普通の人の感覚であれば、ふだんどおりにやっている仕事で周囲が熱狂してくれたらそれなりにうれしいと感じるはずだ。しかし、高倉さんは「これはおかしいぞ」と思った(中省略)
自分なりの軸を強く持った人は仮に社会的な評価が高かったとしても、自分の感覚を信じる。高倉さんの場合は、自分の感覚を信じたからこそ、次のステージに踏み出していったのではないだろうか。

人はもともと不平等に生まれついていて、良い行いをしても早く死ぬかもしれないし、悪事を重ねても長生きをするかもしれない。自分が成功してもその成功が長続きするわけではなく、自分が失敗しても失敗したまま終わるわけではないのだ。(諸行無常

より高みを目指すのは価値のあることだ。だが、「自分はここまででいい」という線引きがしにくい時代になっていることは確かだと思う。「やめてもいい」という発想は「自分がいいと思うところまででいい」ということでもある。幸せや成功の度合いにランキングなどないのだ。

人生にはどれだけがんばっても「仕方がない」ことがある。でも「仕方がある」こともいくらでも残っている。
どうにもならないことがあると気付くことで「仕方がある」ことも存在すると気付くことが財産になると思う。そして、この世界のすべてが「仕方がある」ことばかりで成り立っていないということは、私たち人間にとっての救いでもあると思う。

 「夢はかなう」「可能性は無限だ」
こういう考え方を完全に否定するつもりはないけれど、だめなものはだめ、というのも一つの優しさである。
自分はどこまでいっても自分にしかなれないのである。それに気づくと、やがて自分に合うものが見えてくる。

 トップアスリートが諦めることを説く。
そういう意味で興味深いテーマだった。なにかを選択する際に基準とするものは、生きているうちに植え付けられたり身に付けたりした価値観でしかないと思う。
しかし、その持っている価値観すら疑ったり、違和感があったりする場合は何か自分にあう指針が必要なのかもしれない。
モヤモヤした霧が晴れるような一冊だった。