本がある日日

本は好きだが読書が苦手な男の読書ブログ。時々映画もあるよ。

土を喰らう十二ヵ月(映画と小説)

映画「土を喰らう十二ヵ月」を観た。
併せて、小説版「土を喰らう十二ヵ月」も読んだ。

生きること、食べること、料理をすること、季節を感じること、死ぬことなど言葉だけではなく映像や演技から感じ取れた。

作家水上勉の「土を喰う日々」というエッセイが原案でそれをベースにしたもの。映画の監督、脚本は中江裕司

長野県の人里離れた山荘でツトム(沢田研二)は先立たれた妻の遺骨と愛犬の「さんしょ」と共に自然の中で山菜をとったり、畑で野菜を育てたりして子供の頃に禅寺で教わった精進料理をもとに自ら料理をする生活していた。

物語は二十四節気をベースに進む。

立春から始まり、春、雨季、夏、秋、冬と。
長野県の田舎だから特に自然が美しい。
そして物語の主軸は料理だ。
季節の作物、果物の料理は華美さを表現するよりも、まさに「土を喰う」という野菜そのものが持つ自然さが伝わってくる料理。
素材を味わう料理は音と映像からも伝わってくる。いつの間にか精進料理というカテゴリを忘れてしまうほどに。
また、恋人の真知子(松たか子)の設定は映画オリジナルだと思うが、基本的に食べる役だが、ツトムと美味しそうに食べる姿が良い。

物語は主人公ツトムの亡き妻、その妻の母、妻の親類、村の人々など人との関わりも描かれ、生と死、老いと病などのテーマが描かれている。また仏教や道元和尚の教え、精進料理の典座教訓のエッセンスもところどころ盛り込まれている。

上映は約2時間。
季節の移ろいや料理がメインで物語性は薄いので果たして途中で飽きないだろうかと若干の懸念もあったが杞憂だった。
ある登場人物の葬式、通夜の場面は一番のイベントだろうか。
しかしあえて、葬式のことだが敢えてコミカルさも含まれていて、人が亡くなったときも思い出話を笑い話できるようなものもまた自然なのだろうかと思えた。
そんな中でも主人公ツトム自身も病や死と向き合う・・・
二十四節気をベースに進む物語は時の流れを頭で理解するのにはわかりやすくて良い。
最後は少し物足りなさがあり、2時間見てももう少し続いて欲しい・・・と素直に思った。


さてここからは個人的な内容だが、僕がこの映画に興味をもったきっかけは、昔、僕が料理を仕事にしていた頃、水上勉の精進料理の本「精進百選」という本を母親から借りて参考にしたことがあった。

実際はあまりに淡泊な料理が多かったので仕事としてはあまり参考にできなかったが、本のこと記憶に残っていた。そんな事があったので、水上勉の精進料理が映画になるとはどんな映画になのだろうかと興味を持った。
主役は沢田研二。昨年「キネマの神様」で志村けんの代役として出演され、好演されていたのが記憶に新しい。

恋人役の松たか子はちょっと年齢が離れているようにも思えたがそこまで現実離れはしていないのだろうか。(ちなみに松たか子が乗っている車がスズキのSX4、しかもブルーというマニアックなチョイス)
また、料理監修にはあの料理研究家土井善晴ということでどのような料理が映像化されるのかも興味深かった。


人は食べなければ生きていけない。
人は生まれたからにはいつか死ぬ。


淡々とした内容のこの作品は賛否分かれるかもしれないが、僕にはとても合ったテーマでじわりと響いた。

ちなみに僕は小説版を途中まで読んだところで映画を鑑賞した。
雑誌か何かで小説版「土を喰らう十二ヵ月」は映画の後に読むと良いと書かれていたが、なるほど。
映画を鑑賞した後に残りを読んだが、映画版よりも濃い内容で、監督は本当は小説版すべてを映画にしたかったのではないだろうか。

小説版に以下のような文章がある。

私たちには思惑がある。その思惑が心を滞らせ知的な頭の動きがはじまる。知的な頭は所有を欲する。
所有をすると守りたくなる。でも、それは自然の摂理には反すること。しょせん世は諸行無常。すべてのものは移り変わり変化し続ける。
雲にも水にも思惑はない。どこに行きたいとも思わない。
人とは切ないものだ。道元さんはあるがままに生きよと説くが、寺を逃げ出し悟ってもおらぬ我が身には難しい。固執もあれば思惑もある。そこかれ嫉妬も生まれ自らを苦しめる。わかっていてもやめられぬ。

最近、「思惑」というキーワードに引っかかっていたところにこの文章が入ってきた。悟ってもおらぬからこれらに苦しむのだろうが、これらを取り除くことが凡夫の目指すところだとつくずく思う・・・

 

tsuchiwokurau12.jp