本がある日日

本は好きだが読書が苦手な男の読書ブログ。時々映画もあるよ。

命売ります(三島由紀夫)

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三島由紀夫の本を読むのは2冊目。

刺激の強いタイトルだが、まったく内容は知らないまま読んでみた。

シリアスな思想哲学的な内容なのかと思っていたが、本当に「自らの命を売り出す」という奇妙でかつ軽妙な展開で意外な読みやすさで面白かった。
(一部ネタバレあり)

 自殺しそこなった主人公の青年羽仁男は、カラッポで自由な世界を感じていた。
そして何事も可能になったような気がしていた。

勤めていた会社は退職し、気兼ねのない生き方を始めるのだが、羽仁男は新聞に「命を売ります」という広告を出した。

 

そもそも自殺しようとしたきっかけは何だったのか?

夕刊を読んでいると内側のページが床へ落ちた。落ちた新聞の上でゴキブリがじっとしている。手をのばすと同時にゴキブリは新聞の、活字の間に紛れ込んでしまった。
新聞を拾い上げ、読もうとすると活字がみんなゴキブリになってしまう。
読もうとすると、その活字が、いやにテラテラした赤黒い背中を見せて逃げてしまう。
『ああ、世の中はこんな仕組みになっているんだな』
それが突然わかった。わかったら、むしょうに死にたくなってしまったのである。
新聞の活字だってゴキブリになってしまったのに生きていても仕方がない。

 

一度は失った命、どうせだから惜しむことなく有効に使ってもらおうと思ったのか。

なんと「命の買い手」は次々と現れる。
命を買いに来る客たちは当然?普通ではなかった。
普通では無い買い手によって羽仁男は様々な命の危険にさらされることになる。

殺人の依頼、飲めば自殺したくなる薬の実験台、吸血鬼の女性に血を吸わせる、対立する国のスパイ、やがて頭がおかしくなると信じている三十独身の大地主の娘との生活・・・

前半は命がけの依頼も、まさに命知らずの勇ましい姿を見せる羽仁男。しかし、いつも死ぬことができないのが可笑しい。
後半は様々な客に会ううちに次第に命が惜しくなってくるという変化を見せる。

 

内容はあまり哲学的では無く、サスペンスのような雰囲気だが、ところどころで深い意味を持つ文章があったので以下に残しておく。

 世界が意味があるものに変れば、死んでも悔いないという気持ちと、世界が無意味だから、死んでもかまわないという気持とは、どこで折れ合うのだろうか。羽仁男にとっては、どっちみち死ぬことしか残っていなかった。

~今度はひどく疲れたので、ドアの札は「只今売切れ」の方を向けておいた。疲労が、彼を生きのびさせているのは、ふしぎな現象だった。死という観念と戯れるのにさえ、エネルギーがいるのだろうか。
そして、家に訪ねてくる人や出会う人に命かけるような場面に何度も遭遇するが一向に死ねない。

一人きりになった羽仁男は、室内を見まわすほかに、時間のつぶしようがなかった。いつもはこうやって、何かがおきるのを待っている。それはまるので「生きること」に似ているではないか。
トウキョウ・アド(勤務していた会社)にいたころ、ばかにモダンにしつらえた明るすぎるオフィスで、みんな最新型の背広を着て、手の汚れない仕事をしていた毎日のほうが、はるかに死んでいたではないか。
今、死ぬと決めた人間が、たとえ死そのものにせよ、未来に何かを期待してブランデーをちびちびやっている姿は、何かおかしな矛盾を犯してはいないだろうか。

~羽仁男の考えは、すべてを無意味からはじめて、その上で、意味づけの自由に生きるという考えだった。そのためには、決して決して、意味ある行動からはじめてはならなかった。
まず意味ある行動からはじめて、挫折したり、絶望したりして、無意味に直面するという人間は、ただのセンチメンタリストだった。命の惜しい奴らだった。

 ※引用文の中で送り仮名が一般のものと違っているような箇所がありますが、原文のまま掲載しています。

ゴキブリが活字になり、活字がゴキブリのような状態を見て主人公(三島由紀夫自身)は何を思ったのだろうか。

物語の後半の大地主の娘との生活の中で、子供ができて平凡な将来を想像(妄)する場面がある。その中で羽仁男はその平凡な生活を“ゴキブリ”だと気づきそんなゴキブリのような生活に嫌気がさすのだった。

よくよく考えれてみれば僕自身のことだが、幼少期から大人になっても平々凡々とした未来(近くても遠くても)が見えてくると、『このままこのような日々が続くのだろうか』と感じ、憂鬱な気分になることがある。

そう考えたら羽仁男の気持ちもわからないでもないが自殺をしようとは思ったことは無い。
不足しても不満、平凡でも不満というなんと我儘な人間なんだろうかと思う。

 

命売ります (ちくま文庫)

命売ります (ちくま文庫)