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本は好きだが読書が苦手な男の読書ブログ。時々映画もあるよ。

ボーっと生きてたら知らない事ばっかり!【サピエンス全史②】

昔の生活のほうが良かった、文明の無い時代のほうが良かった。なんていう話が出ることがあります。

文明よりももっと以前に思いを馳せるとこれまた面白いことがわかります。狩猟採集民から新しい時代へ。
朝から晩まで畑仕事をしたり、酪農畜産で食べ物が豊かになった。しかし、果たして人類はそれ以前に比べて幸せになったのでしょうか。

「サピエンス全史」の第2回目は、上巻の続き、農業革命です!

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 ↓前回の記事


・農耕がもたらした繁栄と悲劇

いくつかの動植物種の生命を操作することに時間と労力をかけて、より多くの果物や穀物、肉を手に入れる方法を始めた。それが農業革命。

食糧を増やすことはできたが、良い生活になったかというとそうではなく、飽食とエリート層の誕生に繋がり、平均的な農耕民は狩猟採集民の時代よりも得られるものは劣った。
ホモ・サピエンスがそれらを栽培化したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化されたといえる。農業革命は罠だった。

農業革命は人類の身体がまだ進化しておらず、慣れていない作業が必要だった為、椎間板エルニアや関節炎、ヘルニアといった、多くの疾患があったことが古代の骨格からわかる。

農業革命が良かったとは言い切れないが、食料の量が増えたことで人口が増え人類が繁栄した。これは種の成功でもある。 

人口増とともに食糧不足が起こり、定住地の感染症、単一の食糧源への依存で旱魃にあったときには大きな被害もあった。しかし、これらの問題が起きても人類は狩猟採集民に後戻りできなかった。後戻りするには人が減らなければならないからだ。
また、狩猟採集民と農耕民が争えば人数の多い農耕民が勝つことが明白だという理由もある。

より楽な生活を求める人類の探求は、途方もない変化の力を解き放ち、その力が、誰も想像したり望んだりしていなかった形で世界を変えた。

 今日、自然な生活、自給自足というと畑や田んぼをやって、あるいは動物を飼って卵を食べたり、食肉として食べたりなんていう事を想像する人も多いと思いますが、長い歴史から見れば畑も動物を飼育することも最近のことなんですね。
野菜を育てるために朝から晩まで働くことを「人が家畜化されている」という表現するのはなんともホラーです。(農業を否定しているわけではありません)
少なくとも狩猟採集民の時代に比べれば、仕事という時間が増え、蓄えられるということから搾取する人が現れ、階層や貧富の差ができてしまったという事実。たしかに革命といえるほど大きな発見だったのですが、著者は「農業革命は罠だった」と言います。

 

 ・革命の犠牲者たち

農業革命は人間と穀物だけではなく動物の運命も取引された。

人類に都合の良いように牛、馬、豚、鶏など家畜化され、肉や乳を得るために生産性をあげる方法を行ってきた。
ムチで叩かれて働かされる牛、乳を搾られるだけ搾られる為に、生まれたばかりの子牛を殺し、再び妊娠させる。攻撃性を抑えるために去勢させられる牛や馬、逃げ出さないように鼻を削ぎ落とされる豚など数えきれないほどの惨状を起こすことになった。

家畜化された動物たちにとって農業革命は恐ろしい大惨事だった。種の繁栄という意味では成功かもしれないが、家畜化された彼らには無意味だった。

 進化上の成功と個々の苦しみとの乖離は私たちが農業革命かた引き出しうる教訓のうち最も重要かもしれない。

 植物や野菜を管理して育てる事と同じように、動物も管理する畜産が始まりましたが、このように残酷な事は現在も多く残っています。そもそも、生きて行くうえで動物を狩って食料にしていた訳ですが、動物を管理して、効率よく食肉や乳を得るなら手段を選ばないというのはサピエンスのある意味本能的なものがあるのではないかと思います。現在のようなネットワークの無い時代に地球上のあらゆるところで起きていたというのは本来そういう習性を持っていると思わざるを得ないのです。
しかし、後にでてくる「差別」の項目でもありますが、時代は大きく変わっているのも事実です。今後どのように変わっていくのでしょうか。

 

・想像上の秩序

人は秩序という目に見えないものに捉われていると言えます。(哲学的ですが)

ハンムラビ法典は階層社会というヒエラルキーがあり、アメリカの独立宣言は平等である。
しかし、生物学的にみるとどちらもサピエンスの豊かな想像や創作して語り合う神話なのだった。

平等、権利、ヒエラルキー有限責任会社、これらと同じで自由は人間が創作したもので、人間の想像の中にしか存在しない。 生物学の視点に立つとどれも無意味だ。

 すべての人間は個人であり、その価値は他の人がその人をどう思うかに左右されないと信じているという個人主義
人間の潜在能力を最大限発揮するには、できるかぎり多くの異なる経験をしなければならない、新しい経験によって人生が変わるというロマン主義
幸せになるにはできるかぎり多くの製品やサービスを消費しなくてはならないという消費主義。
これらは想像上の秩序の原理なのである。
そして想像上の秩序から逃れる方法はない。

 現実的に考えれば、人は進化とともに何かを守ったり、纏めるためにルールを作ったり、信頼させたりすることが必要だったのです。普通はこれらの事を当たり前と思って生きているのですが、ここで面白いのは「生物学的に」という事です。

 普段当たり前と思っていることが、生物学的に考えたら想像上のものでしかなく意味が無いと。平等って何を持って平等なのか・・・なるほど~
やっぱり哲学的ですね(笑)

 

・書記体系の発明

農業革命以後、国や集団など人が集まって生活していると、管理したり、間違えなく伝達したり、記録、保存することが必要です。
ヒトは初めどうしていたか?
頭に入れるだけ詰め込んでいたんですね。
でもヒトはいつか死んでしまいます。死んだら頭の記録も消えてしまいます。
そういうところからついに、


紀元前3500年~3000年の間にシュメール人の天才が脳の外で情報を保存して処理するシステムを発明した。このデータ処理システムは「書記」と呼ばれる。

たった3500年ぐらい前まで文字が無かったなんて信じられませんね。
ブッダもこれよりずっと前に生まれていたら、後の弟子たちも経典を残せなかったかもしれませんね。聖書なんかも生まれなかったのではないでしょうか。

 

・想像上のヒエラルキーと差別

 秩序のところでも出てきましたが、ヒエラルキー(階層組織、身分制度)と差別の問題もヒトの想像上から生まれたものと解釈されます。
階層組織、白人と黒人、男女の差別、どれも生物学的には同じヒトなのです。
ヒエラルキーや差別が起こった背景は様々だと思いますが、なぜ世界的にどこも家父長制だったのか、なぜ女性は男性よりも人を操ったり、許すことが得意なのに政治家や帝国建設者になることが稀だったのか、などわからないことも多いようです。

しかし、ここ一世紀ほど、女性の権利は男性と同等になり、経済機会も増えています。また同性婚が合法になったり以前よりも社会が変わってきているのは事実なのです。

 最後に

今回も盛りだくさんの内容でした。
あまり知識が無いのでどこまで本当の事か調べていませんが、本の評価が高いのでほぼ合っているのでしょう・・・
途中哲学的に難しいところもありましたが、そういう箇所も含めていかに自分が「当たり前の中」で生きているのかを思い知らされました。今の生活はご先祖様の進化の賜物なんですね。
ここには書ききれなかった事も沢山ありますので興味のある方は是非読んでみてください。

さて、こここまででまだ第二部です。まだ上巻が終わってません(^^;
最後の第三部は無事にまとめることができるのでしょうか?(笑)

つづく