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貨幣も宗教も必然だったのだろうか【サピエンス全史】③

サピエンス全史の続きです。

農業革命が起き、人口が増え、国家ができて、文字も発明された後、ホモ・サピエンスは進化さらに進化していきます。

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↓ 前回、前々回の記事

世界各地で小さな暮らしがあったものが、交易がはじまることで、世界が変わってきます。


・統一へ向かう世界

神話と想像上の秩序などの虚構のおかげで、人類は誕生の瞬間から規則や習慣を身に着けられるようになり、見ず知らずの人同士が効果的に協力できるようになった。

モンゴル帝国はアジア、ヨーロッパの一部まで支配を広げたがやがてバラバラになり、キリスト教は何億もの人を改宗させたが、無数の宗派に分裂し、ラテン語はヨーロッパ西部と中部に広まったがやがて地域ごとの方言に分かれ各国語になった。

 これらの分裂は、一時的なもので長い歴史の単位で考えると統一に向かっているらしい。
(この章は世界史っぽくて苦手・・)

・最強の征服者、貨幣

ようするにお金の誕生です。
小さいコミュニティで暮らしているうちはある程度物々交換で大丈夫なのですが、規模が大きくなってくると医師、靴職人、大工、法律家などの専門家が生まれます。

そうなってくるとその技術と物々交換というのが難しくなってきていよいよ貨幣が登場します。

硬貨の貨幣ができるまでは、貝殻、牛、皮、穀物、布などが使われていたようですが、貨幣で何かと交換するということは、信頼が無いといけないのです。

著者は言います。

貨幣は相互信頼の制度でもあり、最も普遍的で、最も効率的な相互信頼の制度なのだ。

 はじめは、硬貨にしろ、貝殻にしろ、直接的に使えないものと交換するのは躊躇するものだと思います。しかし信頼が生まれれば、その時欲しいものが無くても、後で欲しいものと交換ができるという素晴らしい制度なのです。

また、貨幣には差別がありません。
どんな文化の間の溝も埋め、宗教や性別、人種、性的志向に基づいて差別することのない唯一のものなのです。

しかし、貨幣は信頼を築きますが、逆に人間やコミュニティの信頼が低下し、貨幣自体や貨幣を支える非人間的な制度に注ぎ込まれることが危惧されるのでした。

貨幣がコミュニティや宗教、国家というダムを崩すにつれ、世界は一つの大きい非常に無慈悲な市場になる危険がある。

 
・宗教という超人間的秩序

いよいよここで宗教が登場します。
人類の歴史上欠かせない要素であり、この世は想像上のもの、目に見えないもので作られているというこの本ですから、なおさら宗教は注目されます。

そもそも認知革命が起きた後、古代の宗教はアニミズム(自然界のそれぞれのものに固有の霊が宿るという信仰)や神々や霊を信奉したりしましたが、他の人々を改宗させるような意図は持っていませんでした。

宣教というものが現れてきたのは紀元前1000年紀でイスラム教、仏教などで、そのような宗教の出現は歴史上屈指の革命だったといえるようです。
普遍的な帝国や普遍的な貨幣の出現とちょうど同じように人類の統一に不可欠の貢献をしたと言えます。

多神教から一神教へ」

古代ギリシア多神教ではゼウス、ヘラ、アポロンらは 全能で包括的な神的存在である運命の女神(モイラ、アナンケ)に支配されていたヒンドゥー教多神教ではアートマンという単一の原理が無数の神や、霊、人類、生物と物質の世界を支配していた
アートマンはすべての人やあらゆる現象ばかりか、全宇宙の永遠の本質、あるいは魂だった。

 多神教の信者の一部は自分の守護神を気に入って、次第に多神教の基本的な考えから離れていったのです。
そして彼らは自分の神が唯一の神で、その神こそが実は宇宙の至高の神的存在であると信じ始めたのです。

そうして一神教が広まってくるのですが、一神教信者たちは多神教信者よりも熱狂的で、宣教に熱心だったのです。

そして問題が起きます。
一神教信者はたいてい自分は唯一絶対の神の全メッセージを有すると信じていたので、他の宗教はすべて偽りだとみるようになったのです。
そして過去3000年にわたって、一神教信者は暴力によってあらゆる競争相手を排除し、自らの立場を強めていこうとするのでした。

「自然の法則」
これまでの宗教は神、あるいはそれ以外の超自然的存在に焦点をあてていますが、紀元前1000年紀にまったく新しい種類の宗教が広まり始めます。
インドのジャイナ教や仏教、中国の道教儒教、地中海のストア主義やキニク主義、ユピクロス主義は神への無関心を特徴としていました。
これらの教義は世界を支配している超人的秩序や神の意志やきまぐれではなく自然法則の産物だったのです。

我々日本人に馴染み深い仏教は、イスラム教やキリスト教一神教とは違い、神や霊的なものをが出てきません。
道教儒教と同じように人間が中心なのです。

著者による仏教の解釈をまとめると

仏教の中心的存在は神ではなく、ゴータマ・シッダールタという人間だ。
不安、悲しみ、苦悩から逃れ、喜びを永遠に求めて生きるという基本的な精神パターンから脱する方法を発見した。
渇愛することなく、物事を受け容れられるように心を鍛錬する一連の瞑想術を開発した。
「私は何を経験したいのか?」ではなく「私はなにを経験しているのか?」にもっぱら注意を向けさせる。
この瞑想術の基礎を、渇愛や空想に陥るのを避けやすくなるように意図された倫理規則を置いた。

ブッダ以前にも悩みや苦しみの疑問はあったかもしれませんが、このように生き方を説いた人は珍しかったのではないでしょうか。

しかし、仏教徒の99%は涅槃の境地に達することはなく、現生の生活のほとんどを平凡な目標の達成にささげたのです。
仏教のような自然法則の宗教は、神々の崇拝を完全に捨て去る事はなく、インドではヒンドゥー教の神々、チベットではボン教の神々、日本では神道の神々というように・・・

 本文では哲学的、学術的にもっと詳しく書かれています。(^^;

【まとめ】

今回も知らないことが多く出てきました。
貨幣の誕生の経緯などを普段考えることもなく暮らしていますが、改めて貨幣が無い時代のことを考えてみると貨幣は合理的で素晴らしい発明なんだと気付きます。

宗教の項目もかなり省略していますが、平和を求める宗教なのになぜ宗教戦争が起きるのかがわかってきます。

モノを作ったりする行為が始まり、コミュニティが大きくなるうえで貨幣はやはり必要で、宗教とは一言で言えないくらい広いものになっていますので、良いか悪いかは断言はできません。しかし、人間の規範や秩序の役割を担っている点や人の拠り所になっている点を考えれば良かったと思います。もっとも宗教戦争などは良いとはとても思えませんが。

当たり前に生きているこの世の中を考えることは有意義なことだと思いますね。

その他記事には書いていないこともあるのですが、これまでに比べて理解が困難な章がところどころ出てきました(汗)

さて、サピエンス全史は3部構成かと思っていましたが、実は4部構成でした(^^; というわけでこの記事はこれで終わらず、次回は人類の大革命、「科学革命」が起きるのです!

たいへん興味があるのですが、果たして僕自身が内容に付いていけるかが心配ですが・・ 

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

 
サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(下)文明の構造と人類の幸福