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本は好きだが読書が苦手な男の読書ブログ。時々映画もあるよ。

科学革命と資本主義、そして幸福論【サピエンス全史】④(最終回)

現代に生きる我々は、生まれた時から様々な教育を受け、知識や教養、歴史を学び、世の中の資本主義や貨幣制度、民主主義を当たり前にあるように生きてきた。

この本では人類が地球上に生まれた頃から現代まで、物理学的、化学的、生物学的にとあらゆる角度で的確に書かれていてまさに、目から鱗が落ちる

この世界でベストセラーとなっている本は歴史書でありながら、「文明は人類を幸福にしたのか」と問う。
そして、最終的に今後おこるかもしれないホモ・サピエンス以降の「次なる人類」へ向かう「科学技術」に対して我々はどのように問うていくのかということまで行きつく。
そもそも歴史書というカテゴリが正しいのかどうかわからないが。

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今まで3回書いてきましたが、いよいよ今回が最終回!
是非どうぞ!

↓過去記事①~③(まだお読みになってない方はどうぞ)


無知の知

現代に生きる我々は科学革命、産業革命の恩恵を受けて便利なものに囲まれて生活しています。
それには数々の研究者の努力の賜物だということは個人差はあれども誰でもわかっていることだと思います。

しかし、その科学革命が始まったのは1500年頃。
それまで、貨幣や国家などはあったが、その時何が起きたのか?

それは無知の知だった。
それまでは知らない事は神や賢者に尋ねれば教えてくれる。または(知る事自体が)重要でないことについて無知なのは当然だった。

しかし、あるとき重要な問題の答えを知らないことを認めるようになり、新しい知識を探す必要を感じたのです。

ようするに、「ひょっとして我々には知らないことがもっとあるんじゃないの?」と思い出したんですね。
この感覚が無かったというのも驚きですが。

科学革命以前は、人類の進歩というものを信じておらず、黄金時代は過去にあったと思っていた。

そして、新しい知識を獲得して応用することでどんな問題もすべて克服できると多くの人が確信を持ちだした。

・資本主義と帝国

知識の追求には費用が必要だったのです。
そこで資本主義が台頭してきます。数々の国家が建設され、滅ぼされる。新たな地平が開け、無数の人々が奴隷と化し、産業が推進され、何百もの種が絶滅したのです。

資本主義は目に付いたものを手当たり次第食いつくし、みるみるうちに肥え太って「成長」を遂げた。

人々は利益と生産を増やすことに取り憑かれ、その邪魔になりそうなものは目に入らなくなった。
成長が至高の善となり、それ以外の倫理的な考慮という【たが】が外れるといとも簡単に大惨事につながりうる。

キリスト教やナチズムなど一部の宗教は炎のような苦しみから大量虐殺を行い、資本主義は強欲と合体した冷淡な無関心から膨大な人間を死に至らせた。

 経済のパイは1500年の頃よりはるかに大きくなっていたのですが、その配分は不公平で、アフリカの農民やインドネシアの労働者が手にする食糧は1500年の頃よりも少なくなっているというまさに詐欺だったいうことにもなるのです。

富みを得る人も生まれたが、逆になんの得もせず、むしろ悪化した人も生まれたということですね。

 ・ショッピングの時代

資本主義は存続するためにはたえず生産を増大しなければならなかった。破産しないためには業界がなんであれ、新しいものを生産したときには人々が必ず買ってくれるようにするために新しい種類の価値体系が生まれた。それが消費主義だ。

昭和以降に生まれた人々は、日々新しい製品が現れて来るのを目の当たりにしてきたと思います。
消費主義は、多くの製品やサービスの消費を好ましいとし、自腹を切って楽しみ、自分を甘やかすように促す。これらは消費主義の価値体系だというのです。
これを著者はひとつの宗教だとも言います。

・文明は人間を幸福にしたのか

資本主義が現れて経済発展し、無尽蔵ともいえるエネルギーと原材料が手に入ったが、人々は幸福になったのか。


人間は一般に、悲惨な状況を改善したり、願望を満たしたりするために能力を活用するのだから、中世の祖先より幸せであり狩猟採集民よりも幸せに違いない。しかし、集団として能力は増大したが、個人としては狩猟採集民より多く働かなかなくてはならない人や搾取される危険も増した。
ヨーロッパの諸帝国の拡大は、思想やテクノロジー、作物を伝播させ、人類全体としての力を増大させたが、膨大な犠牲となったアフリカ人やアメリカ先住民、オーストラリアのアボリジニにとっては吉報とはいえない。

科学革命は近代医療の功績、暴力の激減、国家間の戦争の事実上の消滅、大規模な飢饉がほぼ一掃されたが、これらは1850年以降のことだ。

また、近代のサピエンスが成し遂げた偉業について得意がっているのは、他のあらゆる動物たちの運命をまったく考慮しない場合に限られる。動物たちにとっては史上最悪の時代だったかもしれない。疾病や飢饉から私たちを守ってくれる物質の豊かさの大部分は実験台となったサルや、過酷な飼育を強いられる豚や乳牛、ベルトコンベヤーに載せられたヒヨコの犠牲の上に築かれたものだった。

 

・幸福度を測る

物質が豊かになり、心の豊かさが置き去りになっている。21世紀は心の時代だとか言われて久しいと思います。
豊かな近代社会に生きる人々は、繁栄を謳歌しているにもかかわらず、心が幸せでない人も多い。うつ病精神疾患もあるし、自殺者数も減っているとはいえ、日本では未だに2万人近いのです。

人を幸せにするものは何なのか?
お金?家族?遺伝的特質?徳?
研究結果によると、富(お金)を得た人、民主主義体制下で暮らす人、既婚者などが挙げられるそうですが、富が与える幸福は一定の水準までで、そこを超えると意味を持たなくなるらしいです。しかし、貧困層の人にとっては当然幸福度は上がります。

また強い絆で結ばれた家族やコミュニティも幸福感に大きな影響を及ぼしますが、そうでない劣悪な関係であったり、崩壊している場合には幸福は得られないのです。

・化学から見た幸福

生物学者の説明は面白いです。
他のあらゆる精神状態と同じく、【神経やニューロンシナプス、さらにはセロトニンドーパミンオキシトシンのような様々な生化学物質から成る複雑なシステムによって決定される】そうです。
幸福もお金や社会的関係、政治的権利などの外部要因は関係ない!当然といえば当然です。

自由主義と仏教

「ジャスト・ドゥ・イット」「自分に正直であれ」「心の声に耳を傾けろ」「私が良いと感じるものは良い。私が良くないと感じるものは良くない」これらの自由主義ニューエイジ)のスローガンにより、幸福は主観的感情で、自分が幸せであるかどうかは本人がよくわかっているという傾向があるらしい。
薬物常用者を対象に幸福の研究を始めたら、麻薬を注射したときが幸せだと答えるだろうといいます。
これらをまとめると「感情はあてにならない」ということなのです。

 宗教や哲学はこのような自由主義とは異なる探求方法をとってきました。
ここでなんと仏教が出てきます。

幸せは外の世界の出来事ではなく身体の内で起こっている過程に起因するという見識だ。だが、仏教はこの共通の見識を出発点にしながらもまったく異なる結論に行きつく。

私達の感情は、海の波のように刻一刻と変化する、束の間の心の揺らぎにすぎない。快い感情を経験したければ、たえずそれを追い求めるとともに、不快な感情を追い払わなければならない。仮にそれに成功しても、ただちに一からやり直さなければならず、自分の苦労に対する永続的な報いは決して得られない。

人間は、あれやこれやのはかない感情を経験したときではなく、自分の感情を渇愛することをやめたときに初めて、苦しみから解放される。

 自由主義ニューエイジ)もブッダ(仏教)も幸福は外部とは無関係というのは同じでも、ブッダは私たちの内なる感情とも無関係であるというのです。

著者は「幸福の歴史に関して私たちが理解していることが間違っている可能性があり、期待が満たされるかどうかや、快い感情を味わえるかどうかは重要でないかもしれない。自分の姿を見抜けるかどうかが重要なのかもしれない」という。

 

・超ホモ・サピエンス

過去40億年近く、地球上の生物は一つ残らず、自然選択の影響下で進化したきたのですが、知的創造者(いわゆる人類)によって設計されたものは一つとして無かったのです。

しかし、ホモ・サピエンスは遺伝子操作で蛍光性のウサギを作ったり、マウスに人の耳を生やしたり、クローン生物や、はたまたネアンデルタール人やマンモスなど絶滅した生物を蘇らせようとしています。(これは個人的には反対だが)

そして、人に非有機的気官を組み合わせた「サイボーグ工学」や、まったく人類とは違う生命体をつくろうとする「非有機的生命工学」(AI)も進んでいて、まるでSF映画が実現するのもこの500年の進化の速度を見ると時間の問題かもしれない。

ホモ・サピエンスの性能を高めて異なる種類の存在にしようとしている様々な科学のプロジェクトを中止するかもしれないなどと想像するのは甘すぎると著者はいいます。

なぜならそうしたプロジェクトはギルガメシュ・プロジェクト(不死の探求)と結びついているからだ。なぜゲノムを研究するのか、なぜ脳とコンピューターを繋ごうとするのか、コンピューターの内部に心を生み出そうとするのかと、科学者に訊いてみると「私たちは病気を治療し人命を救うためにやっているのだ」と紋切り型の答えが返ってくる。

著者は最後に課題を突き付けます。

私たちに試みられるのは、科学が進もうとしている方向に影響を与えることだ。
私たちが直面しているのは、「私たちは何になりたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」かもしれない。

以上でサピエンス全史(上・下)は終わりです。

 

【感想】

この本を読めばとにかく人類史がマクロ的に見ることができます。歴史的にも、生物学的にも、哲学的にも書かれていて読み応えがありましたし、今でも売れ続けている理由がわかります。

僕自身、普通の人より勉強してこなかったので余計に感じたのかもしれませんが、本当に長い長い人類の歴史の中、多くの争い、犠牲、革命などが地球上で行われ、そして自分は今生きている生物のほんの一部なんだなと感じることができます。

現代は過去に比べると国を征服するような争いや飢饉など無くなり、とても落ち着いた時代になったのだと思います。幸福とは何かと論じる自体がすでに幸せなのかもしれませんが、この本の前半のテーマである虚構ということもどこまで虚構なのかと考えるとやっぱりわかりません。それは個人的に宗教的なものとミックスしたテーマとして今後も生きていこうと思うのです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。
読むのも予想以上に過酷で大変でしたが(特に下巻)、「まとめること」ももっと大変でして省略したところも多々あります(汗)
しかし興味を持った方は是非読んでいただきたい本です。

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サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福