本がある日日

本は好きだが読書が苦手な男の読書ブログ。時々映画もあるよ。

日日是好日ー「お茶」が教えてくれた15のしあわせ(森下典子)

f:id:ysense:20210417093732j:plain

日日是好日」(にちにちこれこうじつ)とは「今日が良い日でありますように」という意味ではなく「どんな日であっても、毎日が良い日」という意味。

お茶とは、ありふれた日常を感覚次第で違う見方が見ることができるもののようだった。

 僕はいままでお茶(茶道)に触れる機会は一度も無かったが、数年前この本を原作とした映画を観に行き、お茶とは単にルールや形があるだけではなく精神的なものを追求することもできる文化なのだなと感じた。

それから数年して原作を読むことにしたのだが、ストーリー仕立ての映画とは違い、それは著者の25年のお茶の経験が凝縮されたエッセイだった。

お茶とはこんなにも人に気づきを与えてくれるものなのかと優雅な気持ちになった。

頭で考えずに身体を信じること。「今」に集中すること。見て感じること。五感で季節を味わうこと。自分の内側に耳を澄ますこと。気づきは教えられるものじゃなく、自分で気づくこと。などなど。

お茶は稽古することで気づくことがある。
動きの形はあるが、和菓子、掛け軸、草花、季節を感じる要素がふんだんにある。
一番印象に残ったのは、先生が全てを教えてくれるのではなく、大事な「気づき」は自分自身で体感するということ。「気づき」といえば僕的には仏教やスピリチュアル的なものを連想するが、お茶にも気づきを得るということがあることを知った。
お茶は深いなと。

いつもの通り、気になった文章を以下に記載しておきたいと思う。

先生は今、私たちに「敬意」を表した。謹み深く、謙虚に、それでいて卑屈さがなかった。
おじぎは、ただ「頭を下げる」ことではなかった。頭を下げるというシンプルな動きに、あらゆるものが含まれていた。「形」そのものが「心」だった。いや「心」が「形」になっていた。

「間違えるのはかまわない。だけどキチンとやりなさい。一つ一つの小さな動きに、キチンと心を入れるのよ」

私たちは、ますますわからなくなるお点前を繰り返しながら、和菓子を食べ、道具に触り、花を眺め、掛け軸から吹いてくる風や水を感じた。
今という季節を、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の五感ぜんぶで味わい、そして創造力で体験した。毎週、ただひたすら。
やがて何かが、変わり始めた・・・。

私たちは、雨が降ると、「今日は、お天気が悪いわ」などと言う。けれど、本当は「悪い天気」なんて存在しない。
雨の日をこんあなふうに味わえるなら、どんな日も「いい日」になるのだ。毎日がいい日に・・・・(日日是好日

今だって先生は、私たちにはわからない仕掛けをいっぱいしているのだろう。私なら、演出した仕掛けをすべて言いたくなるだろう。だけど言葉で言ってしまては、伝わらないものがある
先生は、私たちの内面が成長して、自分で気づき、発見するようになるのを、根気よくじっと待っているのだった。

 

仕事でも習うより慣れろという事は多い。はじめは出来なくても勝手に身体が覚えてくれる。一つのことを続けていると他の人よりも敏感になり、感じる幅が広くなる。
真剣に料理をすれば、タイミングを計るために音や匂い敏感になる。
散歩をしたり、写真を撮っていれば、季節の空気、匂い、鳥や虫の鳴き声にも気づくことが多い。

そういうふうに考えるとお茶はあらゆる人間の感覚を感じることができる文化なのではないだろうか。
何やら堅苦しい形の文化だと思い込みがあったが、お茶(茶道)とは感覚と研ぎ澄ますことができ、精神を磨くこともできる奥深いものだと思う。お茶に少し興味を持った。

 

 

読んだあと、映画館で観て以来だが映画版「日日是好日」も久々に観てみた。

原作でも著者の家族や恋人などプライベートな人間関係がでてくるが、映画ではそのあたりを軸にストーリー仕立てになっていてちゃんとした映画になっている。
また原作の雰囲気がよく再現されていた。映像で表現される空気、音、人の表情などが良い。原作を読んでから観るとより面白く理解が深まると思う。
なにより音楽がとても合っていてホッとする。
アマゾンプライムでも観られます)

日日是好日 通常版 [DVD]

日日是好日 通常版 [DVD]

  • 発売日: 2019/06/04
  • メディア: DVD