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本は好きだが読書が苦手な男の読書ブログ。時々映画もあるよ。

ゴータマ・ブッダの思想の基本がわかる解説本。(中村元の仏教入門)

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前回の「ブッダ入門」に引き続き、中村元氏の本を読みました。
同じく講演録となっています。
この本の核であろう部分では、さすが中村先生、解説が今まで読んだ本とは違う深さがあり思わず唸ってしまう箇所が多々あり、ハウツー本的な仏教の本とは違う面白さがあります。

ブッダ入門」に比べ、こちらはブッダの教えや思想を中心に、生い立ち、聖典のこと、教団、倫理などが書かれています。

 「第三章 ゴータマ・ブッダの思想」がこの本のメイン、核なのではないかと思います。

・当時の思想体系の中におけるブッダの思想。

形而上学論議は無意味で、それよりも正しく生きることの大切さを説いたブッダ

形而上学的原理としてのアートマン(自己)は否定するが、人間のよりどころとするするアートマンは承認していたこと。

ブッダ以前のインドにおける業と、ブッダの業の違い。
宿業に関しては説かないが、行為が報いをもたらす観念を説いた業因説、因縁。

・因縁の因は『主な原因』と『それを助ける(副次的な)原因』があっていかなるものも作られている。
一つの原因に基づいて何かができているということはあり得ない。

・無明(無知)が無くなれば、苦しみも輪廻も無くなる縁起説。そして、迷いながら努力する中に悟りがあるということ。(道元の「修証一如」)

・現象的存在は相互に依存しあって生じている縁起説。
その原因や条件を取り除くことで解放される。

・快楽や苦行など極端な生き方を否定する、不苦不楽の中道のよって真実の認識、悟りを達成すること。

・苦しみを滅する基本的原理四諦

・正しい生き方を行うことで生死、輪廻を経過し究極目標(涅槃)に進むことができると説く「八正道」


この本の中盤の数十ページにブッダの教えが凝縮されています。
その中でも気になった箇所をいくつか挙げます。

ブッダは、形而上学論議は無意味で、この世におけるいかなるものにも実体性というものを認めなかったのです。

仏教に限らず、宗教では輪廻転生、世界、宇宙の限界はあるか、など形而上学的な問題はブッダは答えなかった。なぜなら、そのような対立見解にとらわれず、真の生きる道を考えることが重要だから。
仏教は「今を生きる」ことを重要視していますからね。

ここに「ものがある」とします。
しかし、これが実体であると思って論議すると固執が起きる。そうではなくて、全てのものは移り変わる。そう見極めて、人間が本当に人として生きるにはどうしたらよいか考える。
つまり、精神的修養を実践し、この世における生死の無限の繰り返しから逃れる道を開いたのです。

有るけど無い。この矛盾のようなものの理解が難しいのが仏教だと思います。我々は変わりゆくもの、諸行無常なるあらゆるものを前にして、固執してしまうのです。その思考から抜け出すために修行、修養が必要だと説き、輪廻転生から解脱すると教えられています。

われわれは“何ものか”を我がものであるとか、我が所有であると考えて執着してはならない。
“我がものという観念”を捨て去らなければならない。これが無我説です。

 人間の身体でいうと、普通は一人の人間が生きてから死ぬまで同じ人間なのですが、細胞レベルで見ると常に変化し、入れ替わっているわけです。だから不変な実体は無いと説きます。とにかく固執しないこと、執着しないことです。

 


 「第三章 ゴータマ・ブッダの思想」以外では、

・第一章 仏法と仏教の違い、ブッダにまつわる名前、生い立ち、仏教以前の社会と宗教(ヴェーダ聖典ジャイナ教など)

・第二章 仏教聖典の成立、パーリ語聖典サンスクリット聖典

・第四章 教団について、サンガ(僧伽、僧)、教団の生活、戒律、入門資格など

・第五章 仏教の具体的な実践倫理
という内容になっています。

第五章では、当時から現代まで、南部仏教から日本まで長い時代、広い地域で広まったため、戒律の解釈が様々になっていることが書かれています。結局始祖が不在のため、判断基準が曖昧で教団が分裂したり新しい宗派ができたりした理由がわかります。
これはもう元に戻ることはないでしょうが、幸い他宗教とは違って根本思想がしっかりしているので同じ仏教間では争いは無いんでしょうね。


最後に、第一章の中の「仏法」と「仏教」の項目に面白い事が書かれていたので引用します。

昔は、「仏教」とは言わず「仏法」と言ったものです。仏教という表現は日本の古典にはほとんど出てきません。明治以降にキリスト教イスラーム教という宗教があることがわかってきて、それらと区別するために仏教という言葉が使われるようになりました。
この仏法という呼び名は非常に合理的です。つまり、人間の真理、それが法である。それを悟った人がブッダということになります。
したがいまして、特定の宗教というものを超えています。

ブッダというのは覚醒した(目覚めた)人という意味で、我々は無明の迷いの中で夢見ている、まどろんでいる。ところが真理を見てふと目がさめる。
そのような体験を持たれた方がブッダなのです。
そしてその教えが仏法ということになります。

 仏教という言葉は昔使われていなかったんですね。知りませんでした。この「仏法」という言葉、仏教よりこのほうがいいですね。

「仏教を勉強しています」というより「仏法を勉強しています」のほうがしっくりきます。

まとめ

仏教入門というタイトルだとライトな仏教書みたいですがそんなことは無いですね。特に第三章は難しいけど面白く、知識がより深くなった気がします。知識だけでは駄目なので日常に活かして行きたいと思います。
初心者だけど、きちんと仏教、仏法の概略や体系を知りたいという方には良いと思います。

 

中村元の仏教入門

中村元の仏教入門

  • 作者:中村 元
  • 出版社/メーカー: 春秋社
  • 発売日: 2014/12/17
  • メディア: 単行本