本がある日日

本は好きだが読書が苦手な男の読書ブログ。時々映画もあるよ。

なにものにもこだわらない(森博嗣)

しばらく読書が進んでいなかったが、久々に読んだ本はコレ。

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 森博嗣氏はミステリィ作家だけどもエッセイも多く書かれている。
実は小説は読んだ事がないがエッセイは面白くていくつか読んだことがある。

この本はなんともシンプルで痛快なタイトルで手に取ってみたら面白そうなので衝動買いした。

 ここ一ヶ月くらい、いろいろと悩んで疲弊していた矢先にこの本に出会った。
詳しくは書かないが、これまでの生き方、考え方に頭打ちというか行き詰り感を感じていた。

とはいえ、いきなり自分を転換するなんてできないし、様々なものが自分を縛っている。
しかし、少しヒントがあるのではないかとこの本に期待を込めた。

本の内容について書くが、どちらかといえば僕は拘る性格だ。
おそらく自他共に認めるだろう。

拘るというのは言い換えれば固執や執着になる。
仏教的にいえばあまりよろしく無い「想い」だ。

しかし、何か目的を持って行動や製作、仕事などをする時は拘りがないと良い結果は生まれないと思う。

森博嗣氏のここ20年ほどの座右の銘は「なにものにもこだわらない」だそうだ。
ひょんなことから研究者になり自由な生活を送っている著者が考える「拘らない」を“あまりこだわらずに”(笑)、列記してみたい。

・ストレスの原因は不自由だといっても良いだろう。その不自由の原因は知らず知らずのうちに拘っているもの、こうしなければならないという拘束にあるのではないか。

・「拘る」は悪い意味だった。広辞苑によると、さわる、さしさわる、さまたげとなる。些細なことにとらわれる等。
些細な点にまで気を配るというのもあるがこれは「拘りの逸品」などの用法の意味だが他は全て悪いイメージ。

・拘ることで、その後の思考、判断、評価、観察など、諸々の作業を省くことができる。一度これだと決めてしまえば、それに拘り続ける限り、ほかのものに注意を向ける必要がない。それが生き物として生きやすく、効率の良いやり方というわけである。

・あれこれと考えることを億劫なこと面倒な作業だと感じる気持ちは理屈ではなく「感情」な判断である。
「拘り」とは感情であり、理性ではない。

・拘らないから自由でいたい。なにものにも拘らないことを完璧に実行する最も良い手法は、死ぬことである。死んでしまえば、もうなにものにも拘ることがない。
人が生きるというのは、その後の究極の選択を避け、100%と0%の間でバランスを取ることなのである。

・「やり甲斐がある」とは、苦労する、すんなりとはできない、なんらかの抵抗に遭う、といった意味であり、そういったものに負けずにやり通すことである種の達成感や満足感が得られる。(中略)この道理でいけば「生き甲斐」というのは、生きることに苦労する状況であり、のんびり楽しく生きることとは正反対のイメージである。

・自分が楽しめる対象を見つけて、それにのめり込むことで、自然に苦労する結果になるわけだし、またそれを実行する段階では苦労だとも感じない。むしろ、やることなすことすべてが楽しく感じられる。だから、当初目標とした結果に辿り着けなくても、充分に得られるものがある。楽しさとはそういうものだろう。

・人は引き際を見極めきれないものらしい。どうしても現状に拘る。まだできる、もう少し頑張れると思いがちだ。だが、迷っているのは、やめた方が理由を持っているからだし、それが感じられるくらい思考も働いている。(中略)続けることはむしろ簡単であり、やめることは勇気がいる。チャレンジとは、チャレンジし始めるよりも諦めるときのほうがずっと難しいものだ。

・なにものにも拘らないのだから、当然自分自身にも拘らないようにしたい。最初はちょっとした我慢をすることになるけれど、慣れてしまうと我慢というほどのことでもなく、もっと素直に自然な振る舞いになってくるはず。我慢していると考えているちは、まだまだ、ということになる。

・なにものにも拘らない、という姿勢は、その姿勢自体にも拘らない。ということはときどきは何かに拘るし、拘るにしてもほどほどになる。そのあたりをぼんやりとさせなければ、このポリシィが成り立たなくなる。ここが面白いところというか、実に本質的なところなのである。

・なにか一つのことに拘って成功した人よりも、あらゆることを試して成功した人の方が多いはずだ。単に「諦めなかった」という意味で、拘り続けたという言葉を使っていることが多く、そこを誤解しがちである。あくまでも「固執する」という意味での「拘り」は無用だということ。
拘ることの最大の欠点は、思考が不自由になることであり、思考が不自由になると思いつく機会が減るし、また問題解決ができにくくなる。

・(問題をみつけるという)連想的な思考は、「柔軟な頭」によって実現するとよく語られている。柔軟とは、強固ではない、という意味で、噛み砕いていうと、「拘り」のない思考のことである。

・結局のところ、「なにものにも拘らない」が目指すものとは、この「臨機応変」である。細かいことに拘らず、大雑把に考え、ぼんやりと想像する。しかし、思いついた発想を元に、それを緻密に、そして丁寧に実行していくことも、当然ながら必要である、。

・なにものにも拘らないためには、完璧に放心するのではなく、ときどき拘るしかない。そうしないと矛盾を招く。そこで「大らかにだいたいの方向を目指しましょう」という表現になる。そうすることで、目標や行動を、やや曖昧にして矛盾を回避する。

 以上長くなったが気になるポイントを引用してみた。

よくも「拘らない」というテーマでこれだけ書けるなと感心すると共に、自分に当てはまる内容が多々ありとても為になった。
長く生きていると無意識で自分の心のクセみたいなものができて、まずそこに気付くことが難しい。しかし、読んでみて自分の強固な部分を発見出来た気がする。

なにものにもこだわらない (PHP文庫)

なにものにもこだわらない (PHP文庫)

  • 作者:森 博嗣
  • 発売日: 2020/03/13
  • メディア: 文庫